九段の旧跡

 

九段商店街振興組合

九段坂

九段下交差点から靖国神社の南側に上る坂です。遠く見えるのは、靖国神社の鳥居です。九段の由来については、江戸城吹上庭園の役人の官舎が坂の途中に9棟並んでいたからとも、急坂で九つの段があったともいわれています。
飯田町の坂であるところから、古くは「飯田町坂」、「飯田坂」などとも呼ばれていました。
 この坂上は観月の名所として知られ、毎年一月と七月の二十六日を、二十六夜持ちと称し、人々が坂上で月の出を賞したということです。

靖国神社

今から120年以上も前の明治2年に建てられた歴史のある神社です。「戊辰の役(戦争)」が起こり、新しい時代づくりの明治維新に亡くなった人々のため,明治天皇は明治2年6月、「東京招魂社」という名前で、
ここ東京・九段に社をお建てになりました。そして明治12年、いまの「靖国神社」の 名に改められました。

 
大村益次郎銅像

西洋兵学を学び伊予宇和島藩に仕官。派遣されて幕府の蕃書調所、講武所で兵書講義と翻訳に従事しました。請われて長州藩に復帰。この、銅像は上野彰義隊を江戸本丸から指揮している姿と言われています。薩長連合がなるまでは、反目しあった時期がありました。靖国神社の境内から上野の西郷隆盛像とにらみ合っていると言う話がありますが、本当かもしれませんね。

蕃書調所跡

江戸幕府は洋学研究の必要から安政3年(1856)蕃書調所をここに設け、旗本の子弟に洋学の修学を許しました。後に多くの人材を輩出し、日本近代の学問の発祥の地となりました。しかし、たとえば大黒屋光太夫の北差文略等の貴重な研究資料を、門外に出さず近代化に大切な時間を空費したこともあります。今思えば、もったいない事をしたものです。

品川弥二郎像

1843年生まれ。長州藩士。明治時代の政治家です。松下村塾に学び尊王攘夷運動に活躍しました。また、京都にあって木戸孝允のもとで薩長連合と討幕運動の奔走しました。明治17年子爵、34年内務大臣を務めました。

常燈明台

明治4年(1871)靖国神社に祭られた霊のため建てたといわれます。この燈明台の明かりは品川沖に出入りする船ばかりでなく、遠く房総からも望見されたといいます。昭和5年(1930)道路改修のため現在のところに移されました。大変有名でぜひ一見の価値があります。上記の品川弥二郎像のすぐ近くにあります。

九段会館

赤レンガの重厚な建物です。もとは、軍人会館でした。今は結婚式場、ホテル、食堂等歴史を感じさせながら、近代的な設備が整っています。